人生にはさまざまな喪失があります。

大きな喪失では、身近な人、健康、仕事、人間関係の喪失など
そして、日々感じるちいさな喪失、計画、体調、アイデアの喪失など

NVCをベースにした喪失のプロセスでは、喪失の中にある嘆きを感じ、
その中にある大切なものにそっと触れ、味わいを深めていきます。

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photo credit: Marie Berne via photopin cc

喪失した何かについて嘆くのは、そこには、
なんだかしらの愛があったからではないでしょうか。

ケアの気持ちがなければ深く嘆くこともないでしょう。

そこにあった愛としばらく共にいて味わってみると。。。
それはあなたの人生にどんなギフトをもたらしたのでしょうか?

その喪失の中にあった美しいもの、満たされていたニーズを
語り、ただ静かに受け取って聴いてもらう。

失われた存在の中で、あなたが好きだったこと、
かけがえのない素敵だったと思うことに触れてみましょう。

そして、自分の想いを表現する。

その「喪失」に対して、自分が言えなかったこと、
言いたかったことをすべて表現する。
言葉が自由にただ出るのに任せます。

※このプロセスはNVCのIIT(国際集中訓練合宿)で
マリエッタがガイドしてくれたものの一部です。

 

私が「嘆き」を大切だと思うのは…

3年前に在宅で身内を看取りました。

葬儀の直後から色々なことでばたばたして、
アメリカに引越ししなくてはならない事情があり
大急ぎで荷物を整理・処分しての引っ越し。

今振り返ってもあの時は、嘆き悲しむよりも
片付けのしんどさや、そのことで起こった対立
などが、痛々しく思いだされます。

その後もその話になると、なぜか重たい気持ちになり、
自分が責められているような感覚を覚えました。

それを否定するかのように
「あれはあれで良かったじゃない!」
と主張していました。

でも、心のどこかで「もっとできたこと」や
「あんな態度とらなきゃよかった」などの
後悔の気持ちをかき消していたように思います。

それから3年が、NVCのプロセスを通して、
心の奥にある悼みや嘆きをすこしずつ、薄皮を剥ぐように
とても安全な場で、聴き合える場に本当に救われました。

「安心して嘆ける場」

それがあったおかげで、私は自分や相手を責め続ける
気持ちから解放され、どんな感情もただ起こることを許し
人生の美しさを味わうことにつながっています。

世の中には、もっともっと、こういう場が
必要だなぁとあらためて感じました。

また、個人セッションや日本に帰った時に、
喪失のワークをシェアしたいと思います。