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私がよく個人セッションで使う「聖なる誓い」というワークがあります。

無意識のうちに取り入れてしまった契約で
制限となるビリーフやパターンとして現れることがあります。

単なるビリーフと違うのは、そもそもその誓いの背後には
身近な人や守るべきものへの愛の気持ちがあったということです。

そこには、神経系レベルでの契約があり、それに反して動こうと
すると、体が動かなくなったりする、とても大切な誓いとして
体に刻まれています。

もつれをほどき、しかるべきところへ愛の流れを戻して行く
ファミリーコンステレーションのワークにもどづいています。

以下は彼女のNVC認定トレーナーのサラ・ペイトンのブログを日本語訳したものです。

2年前にヨーロッパで数日間のトレーニングをしていた時、
参加者の一人、60代の男性が言いました。

クラス内容をデザインしたり、教えたりすることはできるけど
自分のNVCのクラスを宣伝することができないと。
それを世の中に放つとなると、身がすくむのだと。

「自分自身を宣伝することを考えると、どんな感覚が起こってきますか?」
と私は彼に尋ねました。

「身体からすべてのエネルギーがなくなり、眠りに落ちたくなります。
いったい、何が起こってるんだろう?」
と彼は答えました。

この質問は、私たちの中にある
「自己妨害」そして「自己制限」の核心へと導いていきます。

私たちが自分というものを本来の自分よりも小さくしてしまう時、
一体何が起こっているのでしょう?

表現(告知)すること、創造、望み、情熱、祝福、嘆き、
あるいは、ただ存在するということについて、
自分自身で課した制限を超えたときに
自分を不自由にするような罰を伴うのはなぜなのでしょう?

どうして告知チラシを書くことよりも、
テレビを見ることを選んでしまうのでしょうか?

詩を書いたり、歌を作曲したり、
絵を描いたり、彫刻したりすることよりも、
ベッドの上でゴロゴロしていることの方が、
居心地よく感じられるのでしょうか。

電話をかけたり、ブログを書いたりすることで、
未来のあなたの仕事へのつながりを追求しようとすると、
どうなりますか?

自分自身が怠け者だから行動に移せないのでしょうか?

もしかすると、本当のところは、、、
幼少期の自分の面倒を見てくれる人が
心地よく受け取れるだけの生命エネルギーを表現するという
神経システム上の契約に基づいているとしたら…?

未だに、その制限を生き続けているのだとしたら…?

このことをNVCの文脈の中で捉えるなら、
深い問いかけがここにあります。

「自分が小さくあることによって、
いったい神経システムは
どんなニーズを満たそうとしているのか?」
という問いかけです。

驚くべきことに、ベッドから起き上がらないことで
満たそうとしているニーズは
生存することであったり、誠実さで
あったりすることがほとんどなのです。

そのようには見えないかもしれませんが、
読み進むにつれて明確になるでしょう。

2001年に始まったベアトリス・ベーベの調査によって
明らかになったことがあります。

赤ちゃんが4ヶ月の幼児になる頃には、
日常の毎瞬間、毎瞬間において
赤ちゃんが自分の顔の表情を制限し、
自分の母親が容易に応答できる範囲に
自分の感情を抑えていることがわかったのです。

赤ちゃんは自分の世話をしてくれている人の
感情の表現を言語として身につけます。

それは、赤ちゃんが話し言葉を聞いて学ぶのと同様です。

私たちは、最初に出会った人たちの感情の制限の範囲で
生きるように成長していくのです。

原初の二人組みの対話の中で、自分の生存を維持するため、
私たちは自らの生命エネルギーを抑圧することを学ぶのです。

それは選択ではありません。

言わば生物学的な規則であって、意識的な知識のない状態で
署名した契約なのです。

しかし、それが残りの人生を束縛してしまいます。

この契約を放棄し、自分自身のパワーと感情の豊かさを
宣言する一つの可能な道は、原初の謎を解き明かし、
潜在的経験を顕在的知識へと変容することです。

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私はこの概念を参加者に説明し、次のような誓いがなかったか尋ねました。

「私、ジョージ・ミューラーは、私の母に厳粛に誓う。
私がここにいることを誰にも悟られないことを、あなたを〜から守るために…」。

何から彼の母を守るのかはわからないんだけど、と彼に告げ、
もしかしたら誓いの相手は彼の母ではなく、他の人である可能性も示唆しました。

「確かに私の母です」と彼は答えました。

「私は、存在感の無さから母を守り、母のお供をしているのです。」

この誓いを彼自身の言葉でもう一度声に出して言ってもらった後、
私は彼の母がこの誓いを望んでいるのかと問いかけました。

「お母さんはそれを望んでいるのか見てみましょう。お母さんに尋ねてみるのはどう?」

「母はもう亡くなっています。」と彼は言いました。

「たとえそうだとしても、あなたはお母さんに尋ねることができるわよ。
あなたがお母さんの経験の中に踏み入って、
その誓いがどう響くかを見てみるの。どうかしら?」

ジョージは目を閉じて経験に入り込むと、
「いいえ、母はそれを望んでいない」と言いました。

「母が私に望んでいるのは、全く正反対のことだ!」

しばらくジョージが自分誓いから解放された現実に
身体を落ち着かせてから、
私は宣伝のタスクについて尋ねました。

「今はどう感じるかしら?」

「落ち着いていて、エネルギーが充満しています。」
と彼は答えました。

「今なら行動に移せそうな気がします。違いを感じます。」

2年以上に渡って、ワークショップと個人セッションを通して、
世界中でこの聖なる誓いのワークをしていく中、
人々は自分の両親、おじいさん、おばあさん、自分自身、
そして世界に向けて誓った契約から自らを解放しました。

これらの誓いは、幼児の原初の二人組対話において形成される以外にも、
子ども時代、孤独な瞬間、無垢が破られた時、トラウマ、
そして深い嘆きの瞬間や、世界についての意識があるときにも形成されます。

何度も繰り返し、人々がこのワークをすることで、
麻痺と制限の甲殻が剥がれ落ち、
人々がより自由になることに向かって、
今この瞬間のよりシンプルな存在へと
向かって行くのを目の当たりにするのです。

引用元:

http://empathybrain.com/uncategorized/the-surprising-root-of-self-sabotage/